あんずのチラシのうら

総選挙を機にモバマスを始める人向けに書くことにしました。

双葉杏のタイムパッセージ

今回は、総選挙の息抜きにひとつ。

単なる日記です。

というのも、今回は前に双葉杏のプロフィールの謎に

迫った時と同じく、想像で書いている内容が

多くを占めているのです。 

 

私はかねてより双葉杏の魅力について記事を書いたり、

Twitterではダイマを行ってきたりしましたが、

総合して私の中では双葉杏という少女は、

なまけものでやる気がない時が多いけど、可愛らしくて

賢くて、照れ屋だけど優しくて、誰よりも物事を見る目と、

どんな時でもフラットに道を往く強靭なメンタルを備えた

完全無欠の妖精アイドル、なのです。

 

ですが……

この主張は、大きな解釈違いを生むファクターを含んでいます。

実際のところここまでお読みいただいた方の多くが、

双葉杏は完全無欠なんかじゃない」

と思ったのではないかと、私は思うのです。

 

杏ちゃんは、7年にも及ぶシンデレラガールズの歴史に

確かに名を刻む英傑の一人であることはもはや疑いようがありません。

しかし、その彼女の半生、具体的に言えば過去のプロフィールは

ほとんど明らかになっていません。

学校に行っているのかさえ、「一応行ってはいる」程度のレベルの

情報しかなく、ぷちデレラに至っては、

学校に行っているのかと尋ねられて「たまーに」なんて言っている始末。

 

そして、以前も記事で紹介したこの発言。

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これは過去の彼女の様子について語られた貴重なセリフです。

この一文から、"楽しくない"過去を想起したPも多いでしょう。

 

実は私もこれまでに、「双葉杏の暗い側面」について

まとめた記事を書こうかと考えたこともありました。

それが、彼女の魅力をよりまぶしく見せる

エッセンスになると思ったからです。

そうでなくとも、キャラクターの陰の部分というのは、

愛着を湧かせたり、創作の糧となったりと、

何かと魅力に深みを持たせる要素であることは間違いありません。

ところが、アイドルになって以降の杏ちゃんは、

多少計算でキャラを演じている部分があることや、

本人が言う「客観的」なところがなんとなく

ドライに見えるようなことはあったように思いますが、

「この場面のこの発言を見て下さい、闇が深いでしょう?」

とハッキリと言えるような部分が見当たらなかったのです。

それ故に、そもそも記事にすること自体ができませんでした。

 

強いて言えばなまけものフェアリーの発言の中に、

ファンを小馬鹿にしているようにとれる発言

「ファンって、ちょろいねぇ、プロデューサー。

ちょっとお芝居しただけなのに」

があるのが若干のインパクトがありますが、

後に彼女が、おーる・ふぉー・ふぁんでファンを楽しませる

ということについて深く考えている点、

そもそも、彼女の過去と直接結びつけられない点から

「闇深い」ところとは言えないでしょう。

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けれども、です。

多くのアイドルは、気丈に輝かしいアイドルとして

振る舞おうと努力して、陰では苦しんでいたり、

深いコンプレックスと向き合っていたりといった

逆境に立ち向かっていく描写に人間ドラマが

詰め込まれている場合が多いです。

それは王道でもあり、見ている多くの人が共感できる、

アイドルの魅力を深める「黒いエッセンス」と言えるでしょう。

ところが、双葉杏というアイドルは、

何かに葛藤したり、思い悩んで前に進めなくなったり、

といった様子をちっとも見せないのです。

彼女の「黒いエッセンス」は、

語られない過去のどこかにあるのでしょうか?

 

ここで、あんきら!?の杏ちゃんを見てみます。

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いろいろな要素が詰まったセリフです。

なまけてるフリして、わりとみんなを見てる

しょうがない子って思われてるかもしれないけど、

そこは計算もあるから

これはそのまま、きらりと出会った時の、

ひねくれてるのとか客観的なのも」という部分が

表れているセリフです。

要するに「斜に構えている」わけですが、彼女の思考は

ロジカルなので、単に小さい自分にふてくされているのではなく、

そうすることでいつも最適解を模索している、ということです。

問題は次のセリフです。

「弱いところなんて、あっても、見せないし」

と言っています。

実際見せてないわけです。

そんな私でも、の後には、かなわない子っているんだよ。

と続きます。きらりとか、Pとか。

ここにだけはとことん甘やかされるつもりだから……と。

捉えようによっては、きらりやPには弱いところを見せてもいい、

と言っているようにもとれますが……

弱いところなんて「あっても」

と言っていますね。

つまり、今はないのでは?

今弱いところがあるなら、「あっても」は不要な言葉です。

もっと拡大して解釈すれば

「(昔悩んでた時みたいな)弱いところなんて、

(今でももし)「あっても」、見せないし」

と考えることはできないでしょうか。

 

彼女の「黒いエッセンス」が過去にある可能性は

十分あります。しかし、今はない……のではないか。

思い悩んで、コンプレックスと向き合って、

あがいてもがいて「自分」を獲得するプロセスを、

彼女はアイドルになる前に終えてきているのではないか

と私は思い至ったのです。

彼女に一滴落とされた黒は、シミにならず、既に

全体に薄く溶け込んでいるのではないでしょうか。

だから、あえてそこを語ることはしないし、

私も一ファン、一杏Pとして、彼女が「見せない」と

わざわざ言っているところを掘り返すよりは、

今彼女が獲得している魅力を発信した方が、

いいのではないかとも思いました。

 

私はそんな彼女の「強さ」に惹かれたし、

誰よりもそれを信じてみたくなりました。これはもはや、

信仰、あるいは狂信に近い思いかもしれません。

どのくらい苦しんだかはわかりませんが、

確かに"楽しくない"過去を経てここまで来た「双葉杏」は、

誰よりも強く、逞しく、それでいてしっかり成長して前に進んでいる。

そんな彼女に、王者としての風格のような……

有体に言えば「カリスマ」を感じたのです。

それは、他の誰もが持っていないような強さ。最強の魅力。

私がそう信じたいのならば、自分よりも強いと思いたいものに

信じてすがってもいいのではないだろうか。

 

そうですね、今回の記事の主語は「私」です。

私が信じたいと思う双葉杏像。

それはあくまでも、個人的な考えであって、

今後簡単に覆されることもあるかも知れないし、

既存のコンテンツによって否定できる絵空事であるかも知れません。

けれど、私は信じたい。

杏ちゃんは無敵だ!

と。これからも強くあってほしい。

ただそれだけなのです。

同意してほしい、とは言いませんが、ただわざわざ

こんな長々とした与太話のような記事を

最後まで読んでいただいた方には、

双葉杏の魅力を少しでも改めて感じていただければ、

P冥利に尽きるというものです。

私も最後まで総選挙に全力を挙げていきます。

どんな杏ちゃんが好きでも構いません。

是非、双葉杏を応援していただければ!

今回は以上です。

お付き合いいただきありがとうございました。